イルモア

イルモア

エンジンサプライヤー

コスワースDFVの名チューナーだったエンジニア、マリオ・イリエンがポール・モーガンと組んで起業したイギリスのエンジンメーカー。「イルモア」とはイリエンとモーガンの名前を組合わせたもの。

コスワースのチューナーを経てオリジナルエンジンメーカーに転進した例としては、他にジャッドハートなどがある。

すでに大手メーカー系エンジンに席巻されていたF1にオリジナルエンジンを引提げて殴り込みをかけたのは1991年、最初のパートナーはレイトンハウスだった。「パワーを出すならV12エンジン」という信仰が未だに根強い時代、ホンダフェラーリそしてランボルギーニがサーキットに甲高い音を響かせる中、「軽量コンパクトなV10」をキーコンセプトに独自の道を歩んだ。

しかしレイトンハウスがオーナーの逮捕などのため資金的に行き詰まり、翌92年には元の名称であるマーチに改称するなどのドタバタを見せ、またイルモアエンジン自体も信頼性が不足していたため成績は低迷(ドライバーのP・ベルモンドが悪いという説もある)した。

93年よりパートナーをザウバーに変更、メルセデスF1プロジェクトの実働部隊として資金援助を受けることになるが、初年度は様子見も兼ねて「ザウバーエンジン」名義であった。翌94年より「メルセデス」名義となり、95年からは名門マクラーレンとパートナーシップを結んだ。

地道な開発の成果として97年に初めて三度の勝利を飾り、翌98年には一躍「最強エンジン」と称される様になった。これは当初よりの「軽量コンパクトなV10」の思想が正しかったことの証明と言える。この頃すでに他の全てのライバルエンジンが同じ方向を目指さざるを得なくなっていたことは特筆に値するだろう。

しかし2000年、その思想をさらに進めるためにベリリウム合金を用いたエンジンブロックがFIAによって使用禁止の裁定を下された。また、2001年には創業者ポール・モーガンが不幸にも飛行機事故死。僚友を失い、純粋なエンジニアだったイリエンが不得手な経営部門に参画せざるを得なくなるなど、様々なネガティブファクターがイルモアを襲った。メルセデスの意向とイリエンの方針の食い違いも顕著となり、それらのネガティブな要素がすべて絶対的なパワー不足と信頼性の欠如という形になって現れ、名門マクラーレンを2004年現在極めて深刻な事態に陥れる原因となっている。一刻も早い状況の改善が望まれるところだ。